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Lion's 投資日記
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Vimについての日記

最近、仕事の関係で、Linuxサーバー上で直接作業することが多くなった。コマンドを打つ、ファイルを開く、設定を変える——どれも複雑なことではないが、回数が増えると少しずつ疲れてくる。特にファイルの編集。手軽さを求めて、サーバーからファイルをローカルに転送し、使い慣れたエディタで編集してから戻す、ということをよくやっていた。しかしこのやり方は手順が長く、どこか違和感がある——たった数行の変更なのに、こんなに手間がかかるのか。

そのうち、サーバー上で直接vimを使ってファイルを開くようになった。問題は、vimに対する知識が「開ける、保存できる、終了できる」程度だったこと。何かを変えるたびに、マウスに頼り、画面をスクロールし、ゆっくり位置を探す——遅くて神経を使う作業だった。ある時点で、もうこのままではいたくないと思った。

最初にvimを学び始めたとき、明確な目標はなかった。特別に効率的になろうとも思っていなくて、ただ面倒を減らしたかっただけだ。一番基本的なコマンドから覚え始めた:移動の仕方、削除の仕方、コピーの仕方、置換の仕方。覚えたと思ったらすぐ忘れて、何度も調べ直すしかなかった。そのうち少しずつ設定をいじり始めた。素のvimから、プラグイン付きへ、そしてNeovimへ。途中でかなりつまずき、少なからず時間を無駄にした。何度か疑問に思ったこともある:ファイルを編集するだけのことに、ここまでする必要があるのか?

変化は実はとてもゆっくりやってきた。最初のころ、vimのモード編集にはとても馴染めなかった。数文字変えたいだけなのに、異なるモード間を行き来しなければならない——とても「反人間的」に感じた。しかし長く使ううちに、ある日気づいた:「今何のキーを押すべきか」を考える必要がなくなっていた。手が動き、文字が変わり、注意力は操作ではなく内容そのものに向いていた。

ある日、そこそこ大きな設定ファイルを編集しているとき、ちょっと不思議な感覚があった。マウスはほとんど使っていなかった。意識的に画面をスクロールして位置を探すこともなかった。単語を凝視して正しい場所をクリックしたか確認することもなかった。ただ自然に移動し、編集し、保存していた。あの時、vimでのテキスト編集は、画面上でカーソルを動かすというより、「テキストそのものを操作する」感覚に近いと思った。

割と価値があったと感じるのは、効率がどれだけ上がったかではなく、全体的な状態が少し変わったことだ。繰り返しのテキスト操作が注意力を消費しなくなると、頭の中がわりと静かになる。イライラしにくくなるし、小さな修正で気が散ることも減った。わりと穏やかに物事を終えられる。この感覚は、日常の仕事ではあまり出てこない。

振り返ると、vimを学ぶことは必須ではなかった。vimがなくても仕事は同じようにできた。しかし少なくともこの期間、「テキストを編集する」ということについていくらか新しい認識を得ることができた。だからこの経験を簡単に記録しておくことにした。いつか振り返ったとき、なぜvimが使いにくいと思ったのか、すっかり忘れている自分に気づくかもしれない。



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